思った。
耕耘
土づくり
種蒔き
育苗
植え付け
水やり
草取り
肥料
選定
収穫
自家採種
今のご時世、作物を育てるイメージは「やること一杯で大変」
なのだが
それは現代の農業が、限られたスペースで多くの収量を目指す!だからだ。
経済優先主義では、人の作業量なんて考えず、結果(収量)だけをみる。
そして、収量の多くなる方法が最善であるとの宣いで、技術は継承されておる!!!!
ここで我に帰った(。0 _ 0。)ノ
ああ、これまでの参考書は参考にならんわ。
旧概念が逆にイメージを縛っておる、邪魔。
働いたら負けでござる。
収量なんて最低でも家族が食える分で賄えればいいのだから。
もっとフレキシブルに、のんびりと打って出ていいではないか!
種蒔⇒畑の土に直播きすることにした。藁被せます。
あとは天と地におまかせじゃ。自然の雨。土の地力。
行程が一気に「種蒔!」1つで終。。。
自家採種を繰り返せば繰り返すほど、作物は土に馴染むそうなので。
1年めはほぼほぼ年越し目的で植える。気張って種のこしよ(。0 _ 0。)ノ
で、「俺は働かんから自力でなんとかしろ!」を種子孫代々教えこませる。
大きくなるまで観察。観察。たまにお昼寝。
畝と畝の間は人が通れるくらいゆったり。
ハーブやお花も植えるですよ。
収穫!食べる。美味い。
で、自家採種だ。
自家採種は、もはや丸ごと保存な感じ。優秀な子と、びっくりするくらい要らん奴を2極性じゃ。最アホちゃんは土のカンフル剤+養分にしとく。
次期までは全部ひっくるめて保存すりゃ、エエカンジやと思う。
選別????株ごとじゃ!!! もしくは実ごと。お見事!
来年は株ごと種の部分と一緒に植えるか、実ごと埋めりゃ、種蒔きも楽じゃ。
土地の遊ばせもええよなぁ。。。
二毛作って、表のスペースと裏のスペースと縞々に分けたら、通路部分がそこになってもっとやりやすそうだ。
米⇔麦
蕎麦⇔麦
芋⇔麦
おお、麦主役だ(‘ ‘*)
あとは樹。
これ一回植えて根付けば、年々何か実らせてくれるから素晴らしい。
うむ!
農園は、作業いらずじゃな。
種蒔だ。種蒔を極める!
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- 日々の雑感, 菜園メモ
- 2017年03月17日
じーっとうずくまってる。
冬眠。撒いた麦も雪ノ下でZzz…
生き物たちは、どんな夢をみているのでしょう。
私もこれから何を植えようか。
どんな畑にしようか?色々想像を巡らせては思考しています。
いきなり春!ではなく
こうして考えられる時間があるから
よりよい種蒔きができてくるのでしょう。
考えれば考える程、先人の知恵を借りれば借りるほど
よりよい展開がイメージされていく。
雪。あたり一面銀世界

夜、満月の下。銀色。


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カリンの木と樫の木を植える
昔からの言い伝えにある。
「貸しても借りない」のゴロ担ぎで縁起がいいそうだ。
でも、調べてるうちにこれゃ、すごく理にかなった植え合わせなのだと感じるようになった。
カリンはリンゴの仲間。
自然農法の木村さんの話を思い出す。
かつてリンゴを無農薬で育てる試みに行き詰まり、とうとう自殺する直前に至った時、ふと辿り着いたのがドングリの木だったそうな…
ドングリの木の下は土がえらい肥えていた!その発見があって、不可能だと思われていた奇跡のリンゴ栽培が実現できたそう。
樫の木はドングリの一種だ。
リンゴの近くに樫の木があると、奇跡のリンゴのエピソードが重なって再現される。
カリンの木と樫の木の言い伝えは、貸し借りのこじつけ以前に、そのまんまの言葉の意味を含んでいたのだ。
何かしら意味の有りそうな言葉には、もっと注意深く聞き入る必要があるな。
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リンゴの仲間
調べたら林檎の受粉樹に梨も行けるみたいだ。
西洋ナシはリンゴの花粉でも結実するとか、じゃあ逆もしかりだよね!
リンゴとナシは同じバラ科で、リンゴ属とナシ属と分けられるみたいだけど、もしかしたらルーツは同じなのかもしれない。他にもカリンとか、ボケとかが近親種のよう。ナシの原種にヤマナシやアズキナシというのも見つけた。。
ということは、リンゴの近くにこれらの木を植えれば、何かしら欠けた遺伝子が種に戻って来てくれるのではないかと考える。
そして次の世代のりんごは、より原種に近い完全さを取り戻すのではないか。
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原初のリンゴは、世界に6本しか残ってないそうだ。
各地で様々な品種のリンゴが生まれたが、改良を重ねるうちに想定外の問題を抱えるようになったみたい。接ぎ木でクローンみたいな、同じ品種同士では実付きが悪いとか…
人間の集落で例えるなら、人間の身体はたくさんいるのに動かしてる人格は一つしかないみたいな。不自然な状態なのだ。一人では次世代の命を産み出せないし、心は孤独である。
リンゴの種は、そういった欠陥を抱えるようになった。ある限られた特性に突出した分、適応力や潜在性が失われた。
欠けた遺伝子のピースはどこに行ったのだろう…林檎の木を植えようと思い、そんなことを考えていた。
植物には種がある。
種から新しい生命が生まれる。
種で育つから、根付いた場所に望ましい形で育っていける。
でも種で育つことを忘れてしまったリンゴは、その本質は何処に置き去りにされてしまったのか。
苗木はある。
特定の品種と特定のまた別の品種と。2つを掛け合わせれば実はなる。
でもそれは、置き去りになった林檎の味。新天地に馴染まない不完全な味。
欠けた遺伝子が、完全さを取り戻そうとする。
林檎の種から何が育つ?
それを試してみようと思う。
リンゴの園の、設計図に着手してみる。
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- 日々の雑感, 菜園メモ
- 2017年01月27日