The Grate Spirits

神なるものを体現する言葉なのだそうだ。
無数の微細な粒子からなる、精霊たち。

醸造酒
精神

音だ。微細な波、象られる音の形。
無数の振動がある。
それらを掛け合わせたもの、共振動。

様々なものが、一定の固有振動をもち、園における役割が定められる。人間だけが違う。人間は自分自身どの周波数に位置づけるかを自分で決めることができる。
聞き手の周波数が変われば、聞こえてくる周りの音もガラリと変わる。

瞬間、The Grate Spiritsは聞き手の魂に呼応して相応しい世界の有り様を示す。

聞き手のための音を、自ずから形作るものなり。純粋に願い、そのように物事を見定めるだけで見えてくる。世界の旋律は、望むままを映し出す。

(稲作が収穫の作業だけで毎年取れるようになりました)

とか

(この土地は素晴らしい!と確信すれば、未来の素晴らしい有り様が具体化したりとか)

なぜなら、人間の意識がその実現化のロジックを見出し、証明するのだから。何物も如何なる者も、彼らを縛ることは叶わない

園の基盤完成まで40年といったが、そうなってしまうだろう。ホントはもっと近道もある釜しれなあ。木と自然のリズムが時を必要とするなら、自身は種をまき、眠りにつくのみ。


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糖度

果物の売りどころ。
甘い果実が美味しいって。
商品棚に糖度が表示されてる。

ぁあ、糖度が選ぶ基準になってるんだ。この調子では糖度高いと云われる品種しか残らんな。

こりゃ果物農家さんピンチだわ…
糖度が高いとはどういうことか?
甘い果実とはどういうことか?

なぜそこまで考えんのだ???
誰もがよく考えて見る必要がある。

甘いとは、死にゆく者の香り。
腐敗の一歩手前の味。
熟して発酵するのとは違う、甘いだけの品種は脆弱なのだ。ただ甘く、甘いが故に自然と虫が湧く、虫が湧く故に薬を撒く。糖度を高くするために、死ぬ一歩手前のギリギリまで農家は入念に管理しなければならない。

そして一歩市場に出たなら、日が経つ程に腐っていく…厳しい、防腐剤…

糖度だけしか見ないと、とんでもないことになる。消費者、商品棚の中からしか選べない…糖度が基準??糖度しか表示されなければ、そこでしか判断しようが内容に思える。

これ、本来は虫食い果実となるモノだ。食べたら、自分が虫食い状態になる。蚊の洗礼を受ける。体から甘い匂い…これは死を纏う匂い…甘いだけの果実を食べ、自身が脆弱になっていく様よ…

お砂糖とおんなじ。厳しい。
甘いだけの生命は死に絶える。
それを食べたものも死に向かう
次世代の子が軟弱なペット状態やんね。

全うな種を残すには、その土地の様々な情報を実に宿らせる必要があるわけで。

酢いも甘いも水も日も草も風も花も人や自然の厳しさも。あらゆる要素を育土に込めなければならない。

美味しいとはなんぞや?
身体に必要な情報が入ってるもの。現代的には栄養(情報)と置き換えたがええのか?

味覚は情報だ。それらがバランスよく調和し、味わう人の感性と触れ合って響き合う言葉だ。

糖度の一言で片付けられてはならない。商品棚から離れ、作物を自分で育ててみたらよく分かる。

本物の美味とは何かが。


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福岡大分集中豪雨被害と今後

はい、被災地より中継です。

豪雨、災害規模。
悲惨、土砂の流れた下の町。
木、根張りの浅い杉いっぱい流れた。雨は勢いを増し、川は氾濫し、水と木は逃げ道を求め、局所的に水害が襲った。

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少しポイントがずれただけで、平気なとこと悲惨なとこ。

水の通り道は何処?

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田んぼが土砂で埋まった。
水は溜まって淀んだ。

水の通り道は何処?

もぐらは創る。地下への逃げ道。
笹も竹も、作ってくれる。
けれど去れだけじゃ足りなかったみたい。山は滑りやすく禿げたの。

同じ高さの木ばかりで、他に何もなかったから。水は一気に流れてしまった。

山林を再生する本を大雨の前日に読んでたので、水害の根本的な原因と対策法の一つを知りました、ここに書き溜めます。

参考
(図解これならできる山づくり)

山林、所狭しと植えられた材木用の針葉樹…大胆に間伐し、他の植物や樹木の生えてくるスペースを確保すること。具体的にはこの本の中に。

実践できる立場の人。

山林所有者
近辺集落の人々
山の事業に携わる人
麓の人たちも

協力して里山復活へ。

山暮らしだからこそ、私も住んでる近辺は一人でだって再生お手伝いよ。

被災地の復興と同時進行で。

むしろ現地の人や隊員さんを除き、人々は復興支援やボランティアに勤しむよりも地元山林の復活が何より先決と思われる。これで似の悲劇は救われる。

遠い支援より地元の里山再生。
一人が出来る行動から
皆が参加できる大きな流れへ

ゆくゆくは、日本全土が理想的な土地へ回帰。


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制約を外すことが成長

制約を外すとき、人は自由と崖っぷち立場を得る。

雇われの人は、無職だ。明日からどうするか?????
会社が倒産する時、社長は無職だ。明日からどうするか?????
家族の役割を放棄する時、自由だ。責任問題はどうするか????

そもそもが、他人や他者のシステムに従属して生きたことの精算が、解放と同時に始まるわけだ。

会社を2回潰してきた我が身としては、ずいぶんと遠回りしたものだと思った。
土地を得るためにお金を稼がなければならんと思い、とにかく稼ぐために法人化し、確かに必要なお金を得ることは出来たが、同時に失う財産も多かった。
欲しかった場所は、なんてことはない。。。既に地元の人にとって手付かずな状態で、伝さえあれば簡単に手に入るような感覚だった。土地を手に入れるためのお金…その思い込みが、余計なことをしでかした数年間だったと感じる。

法人、決算、給与、保険、会社法…税金管理
大きくビジネスを展開すれば、お金を稼ぐ仕事だけでなく、様々な制約が仕事時間をぶち壊しに繰る。
何もしなくてもお金がかかるように成り、元の木阿弥、利益を得るために走り続けねばならない。
自分から、ラットレースに巻き込まれに行ってるようなものだ。

これは個人事業から会社設立法人化と一段上に行った時の話。
結婚して家族を持ったり、雁字搦めの状態から子どもを授かったりも、童謡に厳しいだろう。
とにかく、他者の責任を自身が負ってはならんのだ。そのような生き方が地獄だ。
親となる責任を全うしているように見せて、生まれてきた子供に奴隷の生き様を見せるしかないとは悲惨な話だ。

子は子自身で生きるんよ。その子自身の人生だから。あーだこーだ制約は要らん。

人間の今までの制約。社会的地位がある人ほど、周りの目が多いほど、この重い制約から抜け出すには時間と根気が必要だと思える。
しかし、いずれ精算は果たさねばならない。自分が何者でもなくなったとき、そこからが本当のスタートだ。

常に、自分自身の生き方は自分自身で舵をとる。自分自身に対する責任だけでいい。
なぜ他者を指図できるであろうか、なぜ他者に制約を課すなどできるだろうか。
親子関係であってもだ。家族間であってもだ。生き様を自分自身に律する限り、言及はありえない。

人生は我がもの。思うままに生き貫くことよ。


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奴隷からの解放

私は過去奴隷だった。

奴隷は愛に従属してしまう。
愛)を求めて彷徨う愚者。
愛はそれを望まない。

愛は自由。
何者にも、何物にも囚われることのない。

自分に他者(自然)に誠実であること。
自分に他者(自然)に嘘をつかないこと。

愛は真実で応えてくれる。
過去そのように教えてくれた。

奴隷から人間に成る。


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