暮らしの環境がガラリと変わる時
今までの当たり前が、実は思い込みであった。と気づくことがあります。
街の暮らしの基準で考えられてた、食事法や健康、仕事のやり方、学歴、科学的、経済的思考など、それは崩れ去る過去のものでしかなくなりました。
私たちは新しいステージに移行するとき、過去の囚われが足かせとなります。
食事法を例にとりますと、栄養学、1日にこれだけの品目を、栄養を摂らねばならない。とされます。
健康法も、足らない栄養素の補充にサプリとか。
病の対処も、病原菌やウイルスに対して薬とか。
これらの考え方は、物質的な思考の囚われ以外の何物でもありませんでした。
起こった現象。その背景まで意識が届いてないからです。
健全な稲の生育を例にとりますと。
無農薬、無化学肥料で、何町分も健康な稲を育て上げる、米作りのプロの方がいます。
彼のようなお米作りの技術を学びたいと思う時。。
どうやってマスターするのか?
ちなみに大半のやり方はまだ、農薬と化学肥料頼りの稲作です。
本来の科学は再現性があることを強みとしますが、最近の科学的思考は、企業利益重視の、試験管の中のみのデータ解析、特殊技術のオンパレードであり、我々にとって一銭の価値ももたらしません。
そしてある意味で、我々を物質的思考に閉じ込める諸悪の根源。。
病は薬で治す。という思考が、様々な病気を引き起こす要因になることが、これまでの農の在り方を見ても明らかになってきつつあります。
いもち病という、稲に黒い斑点ができる病気があります。科学では、およそカビ菌が原因と解析します。
そして、カビ菌に対処するという思考の元、消毒剤を散布するのが、過去の農業の当たり前でした。
製薬会社は、儲かります。あと、おかかえの科学者は製薬会社から研究費用を頂戴してまして、そのお金は薬剤を使う皆さんのお財布から出て行きます。
研究者が科学的に認められるかどうかは、おかかえスポンサーの裁量に委ねられますので、そういった利益飲み込める研究成果しか基本的に表に出ません。
。。。
現代農業を学べば、こういった問題の模範解答として、これこれこの時期に消毒。、もういいですね。
という、常識にとらわれています。我々が。
元から人間の薬なんぞ眼中にない、稲の一本一本が健全に育ってくれるよう意識を向けて、接していれば、別の答えが降りてきます。。
皆んな、稲を密に植えすぎ。湿気か篭る。
稲と稲の間隔を空けて、風通しをよくした方が、心地よい。自ずとカビ菌とか、流れ去ってしまいます。。
病気は自然に無くなります。
。。。
何のことない。ですよね。
つまり、現象の本来の原因にあたるところを、我々は誤認させられているのです。
何が稲を苦しめる要因か、と言えば、カビ菌ではなく、自分自身の囚われです。稲はこう植える。病は薬で対処する。という、これまで培ってきた、ごく当たり前の、行いこそが、仇となっているのです。
このことは、新しいステージに移行した自分自身にも当てはまることだと思います。
同じようなことが栄養学にも言えそう、次の記事で考察します
» いつも応援ありがとうございます(' '*)
るとです。
本日、ヒロさんよしさん、みかさん、祈ってくれた皆さんのサポートの元で
スウェットロッジに一人で入る経験をさせていただきました。
体感したことを記録に残したいと思います。
でも、言葉には言い表せないくらい。
ぜひ皆さんも経験したら良いだろうなって、思いました。
ひろさんから「祈りにはそれぞれの形が在る」と言葉をくれて。
自分なりの、たぶん思うままの状態で、ロッジの祈りに向き合えたと思います。
まるで、胎児であった頃を追体験してるような感覚になりました。
4つのうちの最初の扉「呼ぶ、招く扉」。。
意識はこれまでの生きてきた感覚で、ロッジの中に入る。祈りの言葉を以って。
招かれた自分は一人。あとは??
一人。の、この瞬間がある状況。。。
の、色々な繋がりや自然の助けがあって、招かれた。
一人で居る。。。の背後に感じるもの。
太鼓のリズム。
誰の鼓動?
歌う。お招きの歌。
2番めの祈りの扉。
何かを思ってロッジに入った。
それを歌に込める。思いっきり。
石のおじいちゃんにも思いっきり蒸気をあげてもらい。
自分が何を祈ってるか飛んだ、あまりに熱くてふぇええええ。
あついのーーーー!!って訴えてた気がします(‘ ’)
じゅーーーーーー。ぶわ〜〜〜〜〜
あちぃいいい。。
じゅーーーーーー。ぶわ〜〜〜〜〜
あちぃいいいいい。。
2番めの扉は、熱さに私が堪えました。。。。
3番めは祝福の扉。
ここで祈りに応じて、たぶんそれぞれの形で降りてくるんだろうなぁと思いつつ。
言葉は省略。
ヒロさんと話してる中で、インディアンの歌のお話がありました。
呼んだら応えてくれる、呼んだら反応が還ってくる。歌の合間にも。意識してみることにしました。
耳を済ませることに意識を傾けてみる。そんな歌が詠われる。
このときに、たぶん色んなことが感じ取れるようになるんだろうなと思います。
4番めの扉。感謝を告げて新たな旅立ちの時を迎える、体験記を綴り終えます。
o
新しい命を授かる時の境遇を、追体感できたような気もちです。
誰にでも祈りの場が開かれるし、好きなように形作ることが出来る。確かに此処でも実現されました。
今回は、自分自信の祈りの場として意識して準備、色んな協力があって、心地良い空間と美味しいご飯が迎えてくれました。
ありがとう。祝福に満ちた時間です。
この祝福を、次の世代に、それぞれの空間に託すのです。
ということで、機会が在ればぜひ。
それぞれに祈りの場が開かれ、それぞれの祈り(と祝福)を一緒に体感できたら良いだろうなと思いました。
ミタクエ・オヤセン
Ho
» いつも応援ありがとうございます(' '*)
今日は、自分にとって特別な日です。
新しくネット環境が整い、自宅からでもブログ更新できるようになりました。
開通記念の投稿。
お野菜もお米も、去年より今年のほうが元気に育ってくれてる。
1年半前、来たばかりの頃は殺伐とした暮らしも
年々素敵なものに、今では猫も、鳥も一緒になって暮らしてます。
なんて幸せなのでしょうね…
街中で暮らしてた頃の、
生活のために、お金を稼ぐために、日に日に仕事に追われて
身近な、大切な人のことなんて、まるで考える暇もなかった。
自分だけが消耗していく感覚。というのが、
結構な状況に当てはまっていたんじゃないかと思います。
何処に行っても、働かなくちゃ生きていけない…
それを支えるにも、周りに愛想よく接して、悪く思われないようにしなくちゃいけない。
って、雁字搦めよ。
生きるのに疲れ果てた人だっている。
けれども、そういう枷から外れた生き方だってある。
年々と豊かになっていくこの土地に、どんな歴史が詰まってるのか。
気が向いたら誰でも再現できるように、記録を綴っていこうと思ってます。
人も動物も植物も、皆が活き活きしていくの。
そんな場所で生きることは、とっても嬉しいこと。
» いつも応援ありがとうございます(' '*)
都会の暮らしの便利な部分なんて、ほんの一握りだろうと思います。
TVは過去の産物だし、エンターテイメントの動画やゲームなんかも、今はネットでデータそのものをダウンロードする時代。
現物なんて、PCスマホで十分なわけですよ。
ネットの通信費。この業界に慣れた人なら。
ドコモauのキャリアではなく、こーゆーとこ使うのが主流です。
→ http://goldenflower.jp/homemaking/e-internet.html
世の情報源(発信源にもなる)はネット一つで十二分ですから(ただし活用の仕方で天地ほどの差がでるが…これはまた別問題だな)
ネット代+携帯代月に3000円。
あとは、日々の生活に必要な食費に関する部分と、水道光熱費、各種健康保険、そんで日用品諸々…と言ったところでしょうか。
と・こ・ろ・が・・・
必要なのは、ほとんど自前で賄えるんだな。
当初こそ、電気には依存しますが、PC携帯の充電とか。
水は、その辺で美味しいの汲めるし、田舎の水は美味しい。
生活用水は雨水を溜めて使う。ここも工夫が必要だけど、タダのようなもん。
薪を集めれば、素晴らしい薫りと温かな火が、これで煮炊きすると美味いです。
でも薪の準備に乾かすの何年かかかるそうなので、専ら電気コンロには頼ってますが。
水道代ただ、ガスは要らん。電気だけやんな。月数千円くらい。
家賃。田舎の相場は月数千円から1万もあれば昔ながらの空き家があるみたい。
自分は、山小屋くらしだからその辺はよく分からない。空き家状況にもよる。買うと決めたら物件は多い。
保険関係は2万から2万5千みとくべきか?たけーよな。こいつ。
食費は、自給体制整うまでは、そこそこ使うかも。月2,3万で余裕。これで贅沢。
まぁ、月5万強くらいです。ちなみに電気ストーブ使うと、冬は電気代1万いくかもだから。もうちょい。
1年目の見通しとしては、まずまずでは無いでしょうか。
山間の場所で月6万かせぐって、どうでしょうね。途方に暮れそうですね。
でもでも、此の中で食費はいずれ物々交換で済ませられる見通し。
保険関係を払わないことにすれば、すんなり電気代だけになっちゃうわけですよ。
ま、切羽詰まったら、余計なもの切り捨てる覚悟は必要ですわ。
結果、月1〜2万で生活できるようになる。現実的にね。
自給体制の他、スポット的にバイトできりゃ、どーにでもなるな。
まぁ、山間部やといきなりお金稼ぐの難しいじゃないですか。年金とか収められません。
ってなると、そういう人向けの免除制度あるんですね。遠慮無く活用すべきです。
無いものは払えん。故に無かったことになる。
まぁ究極ですな。そういう環境に行けば、自ずと余計なこだわりが消えて暮らしが楽になってしまいます。
体感すりゃ良さが分かるが、現代人が現実問題として実践する気になれるかどうかが微妙。一度経験するのは大事だと思うんすけどね。
人生の選択肢を広げる意味で。
» いつも応援ありがとうございます(' '*)
- コメントする
- 日々の雑感, 生活メモ
- 2018年03月21日
スパンというのがあります。
物事の視点、何年先を見据えるか?
社会の仕組み上は「年収」という概念で支配されてるような気もしますが…
例えば、水田の価値は1反あたりの収益を1年スパンで見てる。
毎年、毎年、その年の成績で判断するのが一般的ですね。
おかげで、周囲の仕事の在り方(都会のそれも含める)、何というか。
所詮1年先か、みたいな? 数年後の後始末を考えもせん。
稲作文化の弊害や。気に食わん。
えっと、一年サイクルは、作物の中でも一部分です。
生命は、何年もかけて育つのが大半。
樹とか、分かりやすい。
最初は視えづらいのに、何十年後かを堺にぐっと成長して素晴らしい実りをもたらしてくれるのもあります。
あ〜んまり短いスパンの見積もりやと、そーゆーの無視なんですよね。目先のサイクルに追われるようになる。だから今の人間いそがしい。
初年度は無理なく数万円程度の利益目標とか、生活ボーダーぎりぎりのラインを攻めるメリットはというと、
仕事量の大半を、未来の向こう側に持って行ける。。。からこそです。
経費0(に近い)お陰で、何をするにもそれなりに自由なので、自分の好きなことに集中できたり
何年後、何十年後に向けた種蒔の準備を、時間と気力の許す限り出来ちゃうわけですよ。
長期的に価値の認められる植物は、探せばけっこう見つかります。
現地の気象に合うやつもね。ま、成長に時間掛かったり、種の流通が微妙だったりもするけど。
そーゆーところを探り当てる心の余裕が、固定経費0やとのんびりゆったりイケます。
あと、経済価値だけやなくて、実際にその土地にもたらす恩恵というのは大きいね。
周りの動物、植物たちとのバランスとか、土壌の微生物にとって有益だったりとか。
そーゆーのが積もり積もって、何十年後かに作物の実りが素晴らしくなる。自然の生活リズムがそのサイクルに合う。と、何十年かけての恩恵にすっげー寄り添える。
密蜂さん戻ってくるだけで、でかいだろうなぁ。。
何が有益で、どういう配置やバランスが理想的で。。
っていうのは、試してみないと分からんし、まわりの環境とか土の状態とか気象にもよるでしょうが。
色んな要素が絡むので、もうど〜にもうぇるかむ。
色々遊べると面白いでしょうね。
» いつも応援ありがとうございます(' '*)