カリンの木と樫の木

カリンの木と樫の木を植える

昔からの言い伝えにある。
「貸しても借りない」のゴロ担ぎで縁起がいいそうだ。

でも、調べてるうちにこれゃ、すごく理にかなった植え合わせなのだと感じるようになった。

カリンはリンゴの仲間。
自然農法の木村さんの話を思い出す。
かつてリンゴを無農薬で育てる試みに行き詰まり、とうとう自殺する直前に至った時、ふと辿り着いたのがドングリの木だったそうな…
ドングリの木の下は土がえらい肥えていた!その発見があって、不可能だと思われていた奇跡のリンゴ栽培が実現できたそう。

樫の木はドングリの一種だ。
リンゴの近くに樫の木があると、奇跡のリンゴのエピソードが重なって再現される。

カリンの木と樫の木の言い伝えは、貸し借りのこじつけ以前に、そのまんまの言葉の意味を含んでいたのだ。
何かしら意味の有りそうな言葉には、もっと注意深く聞き入る必要があるな。


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林檎の仲間

リンゴの仲間

調べたら林檎の受粉樹に梨も行けるみたいだ。
西洋ナシはリンゴの花粉でも結実するとか、じゃあ逆もしかりだよね!

リンゴとナシは同じバラ科で、リンゴ属とナシ属と分けられるみたいだけど、もしかしたらルーツは同じなのかもしれない。他にもカリンとか、ボケとかが近親種のよう。ナシの原種にヤマナシやアズキナシというのも見つけた。。

ということは、リンゴの近くにこれらの木を植えれば、何かしら欠けた遺伝子が種に戻って来てくれるのではないかと考える。
そして次の世代のりんごは、より原種に近い完全さを取り戻すのではないか。


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林檎の木

原初のリンゴは、世界に6本しか残ってないそうだ。
各地で様々な品種のリンゴが生まれたが、改良を重ねるうちに想定外の問題を抱えるようになったみたい。接ぎ木でクローンみたいな、同じ品種同士では実付きが悪いとか…

人間の集落で例えるなら、人間の身体はたくさんいるのに動かしてる人格は一つしかないみたいな。不自然な状態なのだ。一人では次世代の命を産み出せないし、心は孤独である。

リンゴの種は、そういった欠陥を抱えるようになった。ある限られた特性に突出した分、適応力や潜在性が失われた。

欠けた遺伝子のピースはどこに行ったのだろう…林檎の木を植えようと思い、そんなことを考えていた。

植物には種がある。
種から新しい生命が生まれる。
種で育つから、根付いた場所に望ましい形で育っていける。

でも種で育つことを忘れてしまったリンゴは、その本質は何処に置き去りにされてしまったのか。

苗木はある。
特定の品種と特定のまた別の品種と。2つを掛け合わせれば実はなる。

でもそれは、置き去りになった林檎の味。新天地に馴染まない不完全な味。
欠けた遺伝子が、完全さを取り戻そうとする。

林檎の種から何が育つ?
それを試してみようと思う。

リンゴの園の、設計図に着手してみる。


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年の節目を越す…冬至

冬至
この日が一年の終わりであり始まりでもある。

山暮らしを始めてから、日が出てる間にしか野良仕事をできないので、最も日の短くなる冬至を越すというのはかなり大きな節目だった。今日から活動時間が増えていくんだ!って。

何を基準に一年の数えとするか?
年末年始、相変わらず山に出て芝刈りに勤しんでる。

でも人々の動きは冬至よりも年末年始が節目である。
だから人里に降りるときは、そちらも考慮する必要がある。

自然のサイクルと世のサイクルは感覚にズレがあるんだ


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