手作業は無駄がない。
というより、自然の中で手作業の範囲がちょうどいいバランスです。
ツール依存やと無駄にやり過ぎる面がある。
機械、ツールというのは、同じ行程の繰り返しを高速化する役割。
あるいは、力を大きくしてガーってやる感じです。
土地の上では相対的に、人間の力が強まったように感じます。
しかしその区画の、土地の能力には限度があります。
どんなに人が急かしても、自然のサイクルは変わらない。実りは1年に1回。
それだけやなくて。その地に宿る、水にも、風にも、光にも、それぞれの限度がある。
機械は単調な作業しかできんので、どうしても効率化すると単一作物に偏る。
が、土地のポテンシャルが日当たり9、水6、養分5とかに対し、その作物が日当たり2、水4,養分5までを消耗するとき
残りの土地力の日当たり7,水2が無駄になってしまうんですよ〜〜〜。。例えじゃ。
ていうのをバランス良くするために、畝の高低差をつけたり影になる部分と日の当たる部分を読んで、しっかりと環境の棲み分けをさせて、それぞれに好ましい作物を植え合わせる。とすれば、無駄がない。
あと手でやるほうが、土や水、光と風を読みやすい。実感として。
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仕事するにあたって、絶対に赤字の出ないやり方が有ります。
「経費0」
基本は商売人なんで、(と言っても売る額ではなく、利益率重視)
まず実践すべき(近づけるべき)肝となるところですわ。
というのが実生活にも現れておりまして。
車なし、家は山小屋、水は汲んで、電気代とか基本保険料くらいな固定費。
一人の生活費、そんな掛からんのですよね。
年間に幾らの儲けを出せばいいか→「50万円」
月に5万円換算で、とりあえず行けるということです。
ああ、時給分である程度食費を相殺できるので、少し額は落ちるかもしれません。月3万くらい?
¥1000/1day 初期の農家さんとしては、子どもでもできそうな難易度ではないでしょうか?(ぶっちやけ、他所のバイトお手伝い料で足りるやんとか)
経費かけないなら基本、手作業になるわけですよ。
逆に言うと、手作業とか自転車で間に合う範囲しかしないということです。
やることが明確になる気がします。
重たいものは、運べません。乾物とか扱うといいですね。
農産物直に販売するよりも、ある程度日持ちするよう加工した方がよさげですね。
もちろん、その日多く取れた生鮮は出荷するとして…
小スイカ一個500円 トマト1p200円 キュウリ3本…
あ、お米。お米ですね。無農薬自然栽培米が都会だと800円/kgしましたね。
上手く作れると1反あたり9俵>(540kg?)らしい。これだけでラインはクリアですね。
まぁ、上手くいくまで時間掛かるでしょうし、そもそも稲をメインにするのか?というのもあるが。
基本は、手でやる。経費は種代くらい。
あとは、のんびりする。どうでしょう。
日が暮れてしまいますかね。
同時に、木や花も育てるんですけどね。
最初に全部手でやって、機械化できる部分で、もし周りに遊んでる機材があれば、使わしていただく。
運送に軽トラも、利益率との兼ね合いで採算があうようになってからでOK。てか必要か?
最初できる範囲のことから、徐々に徐々に慣らしていくのが、経営上望ましいと思っております。
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現地の農家さんと触れ合って、仕事に対する真剣さ、作物への愛情、も、直に感じました。
自分みたいな、現場の苦労の字も知らん若造が、鍬の一つ雑草とり一つですぐ音を上げる半端者では、到底足元にも及ばないような。
大変な重労働を経て、農家さんたち「商品に出せる」立派な作物を育て上げて、出荷する。
そのお陰で、自分たちの目の前に食べ物があるし、今日を生き永らえてる。。。
自分は、農で生計を建てようと思いました。
すると、農家さんたちの抱く思いが、少し伝わってくるような気がしました。
「半端なモノは商品に出せない」です。
自給用なら「これでいっか〜」で済ませられるようなのも
商品棚に並べるのだと「傷一つ」「虫食い一つ」ついてない、立派なものを!と意識が行く。
なぜなら、それがプロとしての心構えだから。
自分の名がラベルになる(或いは集落名もかな)、その作物への責任は、全て自分に掛かって来るのです。
当然に、立派に実ったものを、最高の状態で、お客さんに提供したいではありませんか。
まぁ、苦節難局経て、商品棚に並ぶ頃にはなんですが…
都会にいた頃の「無農薬」とか「無肥料」とか求めるのとは、また別視点でのお話。
作物に対する責任と、農家としてのプライド、これで明日の糧を繋ぐって(食は命の基本やしな)
半端な仕事はできんし、そーゆー半端な気もちを持ち込まれるのは迷惑やし、やるならきちんとヤれ!と。
そうか。と、作物に向き合う真剣さは、心動かされるものがありました。
覚悟を決めてから、少し違った目で見れるようになったかもしれません。
自分は、何者だったのか。
ぬるま湯に浸かって、お金ぼちぼち楽に稼いで、生活の糧は他人任せで、のんべんだらり生活。
を実践しようと思えばできる位置に居ました。甘んじれば軟弱者で終わるっすね。
もし自分が、第一線を担う地元の農家だったら??
そういう過去の自分に対して、怠け者…と思うか。或いは。。。
ちなみに過去の自分から見た現場の人への感情は、記事に述べたとおりです。
すごいなぁと尊敬できる部分と、なんでかなぁと落胆する箇所と両方。
両方の視点から、自分なりの農地との向き合い方を形作って、皆と住みよい集落を築いていこうと思います。
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これから農業を始めるにあたって、しょーじきな所、マイナスからのすた~とかな?って思いました。
移り住んでみた場所での、農関係のこと。
昨年までは、農に直接関わってきたわけじゃないですが、自分なりに感じた部分を取り上げてみようと思います。
まず、土地が見放されております。荒れ放題です。
自分から、そういう場所を求めていったというのもありますけど。
しかし、荒れ放題っぷりが凄まじいです。
田んぼは、毎回親切にしてくださる地元の方が、昨々年度までお世話していたという。
この場所に来ると、その方を思い出して、しんみりした気もちになると同時に、少し悲しくもなってきたりして。
えっと、ここは山に囲まれた田んぼでして、水田として見るに様々な問題を抱えているらしいです。
まず獣害。コレでもかというくらい荒らされる。柵があっても無駄。
次に水。水は、もう周りの人が誰も使う人いなくて、水路が機能してないのだそうな。
おまけに、接する道路の整備とか草刈りは義務、そして固定資産税は否応なしにかかるし。
地元の班長さんいわく、「負債だらけの場所」だそうな…
というのが、自分は1反と少しを使わせていただくことになったのですが
その十倍はくだらない広さの土地が、放置されてる感じですよ。
試しに一年、少しだけ籾殻を蒔いてみたところ、実ったは実った!
食べられたは食べられた、まぁ満足するできには程遠いかな。しかしいい感触を掴めたのではありました。
。。。しかしこれ、従来の農業のやり方ではどうにもならんやろなっとも思いました。
機械を導入してが~ってやるやないですか。大体の農家さんはそう。
やないと、普通(と言われてるような)の生活水準を保つのに必要な収量を賄えんからと思われる。
と・こ・ろ・が・・・
そーいった機材の設備費とか維持費とんでもなく高い、しかし山の田んぼは満足な水田環境をつくれなく、収穫はまちまち、或いは自然災害獣害で全滅。
経費分、丸々赤字!!! と、どーにもならん状況のようです。
もっと作りやすい場所は平地にある。そちらで農家さんは作物を作る。さいで。
山の農地は、なんというか、打ち捨てられてる感が半端無いんですよね。若者離れもそーだし。
いくつか畑となる場所を確保しましたが、他にも何年も人が入ってなくて藪で封鎖された畑とか…
平気でゴミや肥料袋の残骸が捨てられてたりとか、除草剤の袋とか、よーわからんビニールとか。。。
何袋分くらい、除去したやろ〜かって… なんかね、ゴミ拾い、後片付けの方に時間を取られまくりました。
さぁ植えよう!!!がスタート地点やないですか〜。
しかし、現実は厳しい。先に前任者の後片付けから入れやゆーわけです。
どこもそんなもんなんですかね。
お陰で、その場所が以前、どういうものだったのか。というのを、少し感じることができるのでありました。
しゃーないものでしょう。実際、苦労されてん。
うちは時間たっぷりあるし、今後お世話になるさかい、まず向き合うべき仕事やろな。
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まぁ、インターネットとそれを扱う多少の経験があれば、山奥にいながら商売ができてしまうですよ。
利益を出すのは容易。なぜなら、ほとんど経費が要らないから。
家賃はただみたいなもの
移動の必要がない、つまり車が要らない。
食べ物は、その辺で手に入る。しかも安い。美味い。
かかるのは電気代と多少の食費くらい。
まさかここは楽園ではないか?
と錯覚するほど、暮らしやすい山小屋暮らしでした。
まぁ、食べ物系は自分で育てる手間より、稼いだお金でお世話になったほうが早い!
というのもありました。
それでたぶん、畑に対する作物への愛着とか、薄かったんじゃないかなぁって思います。
木の実とか果樹を植えるのも、これから楽しみでなりませんが、まだ土地の確保ができておりません。
つまり農的な部分の結果はどれもこれも中途半端。網反省ではあるまいか!と感じる。
お金優先の罠は此処だなって、自分で感じました。
確かに、お金というツールを利用すれば、それを簡単に確保できる立場を築けたなら(額の大きさではなく、収支のバランスとして)
これ以上ないほど、生活がヌルくなる。全くもって生きるのが楽になる。
一方で、お金に依存し過ぎると、生きる力そのものが軟弱になっちまう…まるで話しにならん人間になっちまうなって。。。
ほら、鍬を振るうにしても、軟弱な筋肉ではあっという間に音を上げるし、
必要な物を、自分の手で創りあげることもできない。..木の棒を何にも活用できないでさ。
ロクに作物も育てられんで、お前何やってんだ??????って、なるやないですか。。。
自分は此の一年で、そんな軟弱ぶりを痛感させられました。
都会の仕事に気を取られてた分、実地の住まい環境は、何とも殺伐としておる。人呼べんよ。サバイバルや。
その一方で山暮らしの先輩たちの、米作りも薪割も日々のご飯も、本業の仕事ぶりも、すばらしいの一言。
一日一日の生活の中に、作物と向き合ったり、鳥さんや木さんや草さん花さんと向き合ったり、動物と対話したり。
丁寧に丁寧に、生命と接して生きてる。。。その温かみが、ふと感覚として、その人の周囲に溶け込んでるように感じる。
目標にしたいような、素晴らしいお家がいっぱいなのです。
気もちが通じてるから、先輩方の住まいは居心地がいいんだろうなって。
反省。
これからは都会での仕事に向けてたエネルギーを、自分の日々の生活そのものに向けて充実させていく指針。その方がずっといい。
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