先日たまたま近くを通りかかった公園で、落ち葉を清掃されてた様子を見かけました。
「燃えるゴミ」袋に詰まった落ち葉たちが幾つもありました。
「落ち葉、自宅用に少し頂いてもいいですか?」聞いたら持って行っていい感じだったので、合計で3袋ほど頂けました。
普段は通らない道。
たまたまその日所要があったおかげです。
「何処かに落ち葉が落ちてないかな?」
ずっと思ってたのがドンピシャ!らっきーです。
10㎡ほどの広さ、45㍑の1袋ずつ運んで、だいたい3袋分くらい?
ただ一度にたくさん撒いても、土に馴染まないと意味が無い。
とのことで、落ち葉を踏み歩いて、シャベルで土に馴染ませながら、掘り起こして、踏み歩いて。はやく土に還ってくれるようにお願いしました。
水も撒いた。じゃ~。

一見して、なるほど。
いい感じに庭が映えるようになった気がします。
落ち葉から漂う木の香りも心地よいです。
落ち葉を撒いた当日から数日間夕立ちが降りてくるようになり
お空も落ち葉に水を分けてくれてました。ありがとう(‘ ‘*)
土が馴染んできたら、いよいよ来月には秋蒔きの野菜植えられるかな?
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発酵菌はどこに居るのだろう?
例として、ここに玄米乳酸菌液の作り方が載ってます。
⇒ http://goldenflower.jp/cooking/column/b1-nyusankin.html
玄米のとぎ汁には、すでに乳酸菌の種が宿っている。
玄米の表面に、居るのです。小さなつぶつぶ君が。
他にも、よもぎの乳酸菌という言葉も聞いたことが有ります。
他にも、藁には天然の納豆菌が宿っていることも知られています。
⇒ http://www.peacefulcuisine.com/blog/2013/09/post-290.html
色んな発酵菌が居る。
活きた作物の表面には、いずれかの発酵菌がセットで付いてくるのでしょうか?
一物全体という言葉を思い返してみますと
⇒ 一物全体という視点
その活きた生命にとって、調和のバランスを保つような配分で、特定の発酵菌が内在してるものと思われます。特に「種」からはものすごい力を感じる。
もしかしたら発芽に必要な、栄養を分解する役目もあるのでしょうか?

(大麦の発芽)
こちら黒ゴマにも発酵菌が居ました。
みかんの皮(種)や玉ねぎにも、麦にも。
⇒ http://goldenflower.jp/cooking/column/b1-nyusankin2.html
活きた状態の作物であれば、表面に居るのでしょう。
落ち葉にも、雑草にも、きっと。
後は、どうやって最適な発酵環境を整えてあげるか…です。
土作りのために、生命のサイクルを循環させるために。
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案その2
庭園に還元できるトイレを作る。
このトイレ空間も前回のアイデアを組んで、庭園のプライベート空間の中で、厠というさらなるプライベート空間を作ってみると良さそうです。
二重に周りの目を気にしなくて済むので、気分的にも楽。
広さはゆったり確保して、周りを竹やぶとか、前回のような庭木で囲むことを想定。
そして中に良い香りのするお花を植えます。

写真のイメージもそのまんまだろうか。
そして身体から出す所には深く穴をほって、乳酸菌液や落ち葉などを常備しておきます。
穴を何箇所か確保しておくと、堆肥の熟成をローテーションできていい感じです。
庭木の葉っぱでお尻もキレイにできると良いですね。
匂いを厠空間でのみ留められるよう作れば、庭園では快適な空間を保てるでしょう。
むしろ厠の空間だからこそ、お花や庭木をキレイに整えて、健やかな肥やしに発酵できるよう手間ひまかけてみるとまぁ素晴らしい!
発酵菌は、活きた草木やお花の中にも居るでしょうから、愛情込めて接すれば、厠といえど神聖な場所になるかもしれませんな。
プライベート空間を作る。
自分自身の綺麗なものも汚いものも、ありのままがさらけ出せる場所を作るのです。
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前回の記事から、考察。
⇒ http://marliyuito.com/blog/44
そもそもの解決策として
「プライベート空間を築く」というのが必須に感じた。
自分の庭園を、社会通念から断絶するわけです。
そこにはまさに自然の因果応報だけがある。
世の中の常識がどうであろうと、関与したり見られたりしなければ関係ないのです。
この庭園内での行いが他所に全く影響なければ、常識から外れてようと何も言われる筋合いがない。
周りの目を気にせず、自然に則った方法を実践できるようになるのです!
さすれば、庭園内での良し悪しの判断は全て自分に還ってくるのだから。
自分の場に、自ずと責任が持てるようになります。
自然農で雑草ボーボーでも、他に影響が出ないようにする。
農薬使って野菜作ろうと、他に影響が出ないようにする。
自分たちの中だけでやる!!その責任は全て自分たちで負うことになる!!
これなら、他から文句なんて出ませんね。
目の前に集中できるようになるんで、とってもやりやすくなります。
そのためにも見られないようにする囲い。
他へ影響が出ないようにする囲い。
庭園を囲う柵が重要だと判ります。
この庭は、周りを小さな常緑樹で囲んでいました。
上の階や隣の住人は居ますが、外からは見えづらい作りになっていて、まさに今回のお手本のような設計ですね。後はこの庭の作りを一軒家で…といった所です。
都会だろうが田舎だろうが、場所さえ確保できれば実現可能ですね。

庭園を樹で囲う方法は
書籍「アナスタシア-響きわたるシベリア杉-」にも記されてます。
こうして考えを深めていくと、自ずと納得できる理由が見出されてくるものです。
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少し前の記事で考察した内容。
⇒ http://marliyuito.com/blog/40

これができただけでも、生活排水はよりキレイなものになるだろう。
一方で庭園の土壌は潤い、作物はより元気に育ってくれる。
そんなビジョンがみえてくる(‘ ‘*)
しかし、今の社会で誰が実践できるというのだろう?
少なくともこの庭では厳しい。
今住んでるとはいえ、ここは借家。
すぐ隣や上の階には、違う人も住んでる。
排泄物は汚い認識。
すぐ傍の住人のが臭っちゃ溜まったもんじゃない、
地主さんだって、貸した人に庭でそんなんされちゃ良い気しないだろう。
やってはならないのが常識(普通に考えつくことですらないだろう)
農業に携わる場合でも、借りた土地でそんなんあり得んだろうし。
自分の農地でそれを出来たとして、私の肥やしで育ちましたとか、他人は食べたいと思えん。
まぁ、量はたかが知れてるし自給自足用のスペースですな。
牛糞とか鶏糞とかは許せる風潮なのに、他人のそれは気に触るものですな。
人社会に蔓延するルールがそう思わせるのであり、そのせいで自然に則ったサイクルの実現を阻んでいるように見える。
仕方ないといえば仕方ないのだろうか…
前の記事で触れた「梅干しと日本刀」を読むことで納得できる面があった。
⇒ 書籍「梅干しと日本刀」による裏付け
その内容には、「飢饉で絶望的な状況で、肥料となるものが他になく、仕方なくそうした」という記述が書かれてあったと思う。
結果、それが見事に功を成し、収量がこれまでになく上がった…とさ。
何が何でも生きるの優先で、追いつめられたら社会通念どうたら言ってられんわけで、今の時代のように社会がニッチもサッチも立ち行かなくなった時に、人は在るべき自然の法則に回帰するものなのだと、私は感じた。
できるなら真に追いつめられる前に、こういったよりよい方法(社会通念に囚われず、素直に実践できる環境)を構築できるようにしたい。
いくつか案を考えてみることにする。
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