この社会で人糞を肥やしに活用できるのか?!
少し前の記事で考察した内容。
⇒ http://marliyuito.com/blog/40
これができただけでも、生活排水はよりキレイなものになるだろう。
一方で庭園の土壌は潤い、作物はより元気に育ってくれる。
そんなビジョンがみえてくる(‘ ‘*)
しかし、今の社会で誰が実践できるというのだろう?
少なくともこの庭では厳しい。
今住んでるとはいえ、ここは借家。
すぐ隣や上の階には、違う人も住んでる。
排泄物は汚い認識。
すぐ傍の住人のが臭っちゃ溜まったもんじゃない、
地主さんだって、貸した人に庭でそんなんされちゃ良い気しないだろう。
やってはならないのが常識(普通に考えつくことですらないだろう)
農業に携わる場合でも、借りた土地でそんなんあり得んだろうし。
自分の農地でそれを出来たとして、私の肥やしで育ちましたとか、他人は食べたいと思えん。
まぁ、量はたかが知れてるし自給自足用のスペースですな。
牛糞とか鶏糞とかは許せる風潮なのに、他人のそれは気に触るものですな。
人社会に蔓延するルールがそう思わせるのであり、そのせいで自然に則ったサイクルの実現を阻んでいるように見える。
仕方ないといえば仕方ないのだろうか…
前の記事で触れた「梅干しと日本刀」を読むことで納得できる面があった。
⇒ 書籍「梅干しと日本刀」による裏付け
その内容には、「飢饉で絶望的な状況で、肥料となるものが他になく、仕方なくそうした」という記述が書かれてあったと思う。
結果、それが見事に功を成し、収量がこれまでになく上がった…とさ。
何が何でも生きるの優先で、追いつめられたら社会通念どうたら言ってられんわけで、今の時代のように社会がニッチもサッチも立ち行かなくなった時に、人は在るべき自然の法則に回帰するものなのだと、私は感じた。
できるなら真に追いつめられる前に、こういったよりよい方法(社会通念に囚われず、素直に実践できる環境)を構築できるようにしたい。
いくつか案を考えてみることにする。

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[…] 前回の記事から、考察。 ⇒ http://marliyuito.com/blog/44 […]