古代の言い伝えです。
これは、前回の記事が理にかなうとすれば、納得できるものと思われます。
前回記事 ⇒ http://marliyuito.com/blog/40
「生活スペース=その人が管理する庭園」というのが前提。
庭園は、その人の身体の一部である。
そんな古代の生活スタイルでは、食べた分だけ自分の庭園に種が撒かれ、肥やしも土に堆積していくことになります。そして芽がでて、去年食べた分の作物が翌年に育ち、年数を重ねる毎に多くの作物が実るように成る。
「庭園」という確かな器が生活の場に存在することで、富を蓄積することが出来た。
人がお腹空くのは足りない意思表示で、食べるという行為そのものが未来の実りを促していたと考えられます。

だから大食いの人を重宝する時代が、かつてあったのです。
だってそういう人を傍においておけば、未来の富をもたらしてくれるのですからね。
今は?
今は、自分の庭園を簡単には持てないの。
たくさん食べてもトイレに流すか生ゴミ増やすだけなので、お腹空いても空いても、食べても食べても流れていく、富を蓄積できない。
だから飢える。
飢えてるから獲って食べて貪りまくり、その行為の報いに身体が悲鳴を上げるか、
逆に貧しさの中で食べ物がない、食べるのは穀潰しだと苛まれ、食べられない…ひもじさの最中に失望するか
マズイ展開が今の世にある。
この飢えを解決するのは、自然界ではシンプルなことで、まずは小さくてもいい、自分の庭園を持つことだと思われる。その範囲で富を蓄えられるようになるから。
プランターから。
小さなプランターから。
0と1では大違い。
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ある時にふと思った。
大きい方、これ以上ないほどに庭園の土の栄養分になるのではないかと。
(今の人間社会では、トイレに流している現状)
これまでの考察や記録を経て
⇒ 一物全体という視点
⇒ スイカの種から芽が出た
スイカの例で考えてみよう。
芽のでた種は、食べた後に自然に出てきたものだ。
皮も同じ場所に埋められている。
ここに、スイカを食べた翌日の「大」を同じ土に排出することを想定する。

どうだ。
最初にスイカだったものは、
皮と種は土に還り
中の実も、人の身体を介して土に還ることになる。
最初のスイカが形を変えて、
その全てが土に還元され、
新たな芽吹きを見せるわけ。
もちろん、人間の身体に吸収された栄養分もあるだろうが、その人間が「同じ庭園の区画で過ごす」ならば、庭園の中でスイカのエネルギー全てが循環することになるではないか!
スイカの何一つムダがなく、まさに一物全体のバランスが庭園内で保たれることになります。
さらには、主人の体内の善玉菌などもそのまま土の成分と反応して、今の主人に見合った土の状態を見せてもくれるでしょう。腸内環境が良ければ、そのまま肥料に。しかし腸内のバランスが崩れていたら匂いがキツかったり、不快な思いをさせてしまうかもしれない。必要以上に虫も沸くかもしれない…(そうなると、発酵!!!!熟成!!!!を時間かけてせねば場そのものが傷つくだろう)
しかして、自分の生み出した大の結果を注意深く観られるようになり、結果として自分の身体のことや菜園のこと、土の成り立ちについて、もっと理解が及ぶようになるとも思えます。
土をいたわるためにも、食べるものに気をつけるようになる。
自分の生き方がもたらす結果は、こうして自分に還ってくるものであり、同時にこの庭園に関わる存在の中に記録され続けるのだ。
そう思えば、土と身体と、両方のためにも、もっと自分を大切にできるかもしれない。身体から出る要らないもの、疎ましいと思えるものも、彼らにとって大切な役割をもつのだと考察する。
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植木鉢にひとりでに生えていた蔓性の植物を
引っ越してきた時に庭の土に植え替えた。
夏。みるみるうちに育って黄色い花を咲かせてくれた。
朝方に咲く花。
朝顔みたい。
キミはどんな名前?
ちな、昼〜夕方にはしぼんでショボーン
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土作りのために
家庭から出る生ごみを土に還すことをしてました。
前々回記事参照 ⇒ 食べたものを土に埋める
そしたら数日後、いつのまにかスイカと思わしき芽が出ておったのです(‘ ‘*)!!

写真の真ん中の部分をよく見ると、スイカの種を被った小さな双葉が地面からにょきにょき!

こちらの写真は分かりやすい。
二対の葉っぱの片方に、スイカの種の片鱗が見えます。
こりゃ、間違いなくスイカでしょ?!
で、埋めた区画の全体から、こんなにたくさん生えてた!

夏場、スイカばっかり食べてたからな(‘ ‘*)
こうして土が応えてくれるわけか。
来年は、上手く行けば食べた分のスイカが実ってくれます。
自然のサイクルというのは良く出来ている。
無駄なものは何一つとしてない。(前回記事 ⇒ 一物全体という視点)
とは、よく言ったものですね。
まさかいきなり芽が出るとは思わなんだ…(感嘆)
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一物全体という言葉
⇒ http://goldenflower.jp/cooking/column/a-wholefood.html
よく食育で言われている文言です。
平たく言えば、自然界(この世)において無駄なものは何ひとつとして無いという意味。
一つ一つの存在、その中に含まれる一つ一つの全てが、必ず何かしらの役割をもって存在している。
そこに存在する全ては、全体で一つの調和の形を司っている…
という視点が、菜園の核心を見定めるのに役立ちます。

全てが各々の役割を果たそうと、在るべき形で存在している。
その前提で、存在一つひとつ、事象一つひとつを、なぜそこに在るのかを理解していくのです。そして、活用法や意義を見出すのです。
一見無駄だと思えたり
必要ないゴミに思えたり
邪魔に感じたり
障害に映るものでも、
よくよく存在理由を見出してあげれば…
自然のそれに即してしまえば、必ず何かしらの役割にたどり着き、自らの糧として全うしてくれるというもの。
自然界で作られるもの
生命活動において成されること
そこには、何らかの役割があてはめられる
人はこれらの役割を深く理解することで
あらゆる存在の価値を100%発揮できるようになる。
→ 全てのものが循環する、永続可能な生き方が実現される
という結論にも結びつきます。
そこでは、ゴミとなるものが一切出ないのです。
目の前にある全てが価値です。
前回の記事のいきさつ(生ごみは土に還る)も
「一物全体」の視点で見出せるようになってます。
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