お金依存の罠
まぁ、インターネットとそれを扱う多少の経験があれば、山奥にいながら商売ができてしまうですよ。
利益を出すのは容易。なぜなら、ほとんど経費が要らないから。
家賃はただみたいなもの
移動の必要がない、つまり車が要らない。
食べ物は、その辺で手に入る。しかも安い。美味い。
かかるのは電気代と多少の食費くらい。
まさかここは楽園ではないか?
と錯覚するほど、暮らしやすい山小屋暮らしでした。
まぁ、食べ物系は自分で育てる手間より、稼いだお金でお世話になったほうが早い!
というのもありました。
それでたぶん、畑に対する作物への愛着とか、薄かったんじゃないかなぁって思います。
木の実とか果樹を植えるのも、これから楽しみでなりませんが、まだ土地の確保ができておりません。
つまり農的な部分の結果はどれもこれも中途半端。網反省ではあるまいか!と感じる。
お金優先の罠は此処だなって、自分で感じました。
確かに、お金というツールを利用すれば、それを簡単に確保できる立場を築けたなら(額の大きさではなく、収支のバランスとして)
これ以上ないほど、生活がヌルくなる。全くもって生きるのが楽になる。
一方で、お金に依存し過ぎると、生きる力そのものが軟弱になっちまう…まるで話しにならん人間になっちまうなって。。。
ほら、鍬を振るうにしても、軟弱な筋肉ではあっという間に音を上げるし、
必要な物を、自分の手で創りあげることもできない。..木の棒を何にも活用できないでさ。
ロクに作物も育てられんで、お前何やってんだ??????って、なるやないですか。。。
自分は此の一年で、そんな軟弱ぶりを痛感させられました。
都会の仕事に気を取られてた分、実地の住まい環境は、何とも殺伐としておる。人呼べんよ。サバイバルや。
その一方で山暮らしの先輩たちの、米作りも薪割も日々のご飯も、本業の仕事ぶりも、すばらしいの一言。
一日一日の生活の中に、作物と向き合ったり、鳥さんや木さんや草さん花さんと向き合ったり、動物と対話したり。
丁寧に丁寧に、生命と接して生きてる。。。その温かみが、ふと感覚として、その人の周囲に溶け込んでるように感じる。
目標にしたいような、素晴らしいお家がいっぱいなのです。
気もちが通じてるから、先輩方の住まいは居心地がいいんだろうなって。
反省。
これからは都会での仕事に向けてたエネルギーを、自分の日々の生活そのものに向けて充実させていく指針。その方がずっといい。